99パー離婚ハッシュタグへの批判と応答 GADHA+Mを介して

この文章の目的と構成

ハッシュタグ「#99パー離婚」にいただいた批判と応答はこちらをご覧ください。こちらの批判への応答の一環として、「本件はあくまで「緊急対応」と考え、改めてGADHA+Mにて取り上げ、オープンにコメントを集めた上で対話し、改めて議論の内容を公開します」というアクションを行うことを約束したものを、ここに記します。

そのため、この文章の構成は以下のようになっています。まず、GADHA+Mとは何かを簡潔に述べ、続いてGADHA+Mの中で共有された意見をまとめ、最後にそれらを受けての追加的なアクションや今後の姿勢について述べていきます。

GADHA+Mとは何か

GADHAが掲げるビジョン「自他共に、持続可能な形で、ケアし合い、美徳を発揮できる社会を目指す」に共感し、その実現を応援するあらゆる人が参加することのできるコミュニティです。被害者や加害者など当事者の方に加え、非当事者の方もご参加いただけます。 名前の由来はGADHA+MACROを縮めたものです。

GADHAの活動を進めていく中で、被害者を含む多くの方々から「活動を応援したい」「何かできることはないか」と言っていただいたことからGADHA+Mを立ち上げました。金銭的な支援だけでなく、共に考え相談して今後のことを考えられる仲間になれるコミュニティです。

GADHAはその性質上、活動やその発信には極めて注意深くある必要があります。同時に、加害者変容は単にミクロな加害者の変容を支援するだけでは不足であり、加害的な社会を変えていく必要があることも事実です。そこでは常に、加害者自身以外の目線が必要です。GADHA+Mは、加害者だけではなく、ビジョンに共感する様々な人たちが集まることで、その実現を目指しています。

これまでには、「悪意のない加害者」という表現が批判を受けたこともありました。その時の議論においても、GADHA+Mは積極的にその役割を果たし、加害者であるGADHA代表だけでは持ち得ない幅広い視点についての批判的検討にお力添えいただけました。

そのため、今回の件についてもGADHA+Mでの整理・議論を行った上で、最終的なアクションに落とし込んでいきたいと考え、このようなプロセスを進めています。

GADHA+Mの詳細はこちらからご覧ください。

いただいたコメントの抜粋

以下のコメントは、11月19日時点で公開した「99パー離婚ハッシュタグへの批判と応答」を読んでくださった方々から、その不足や問題についてのコメントを募ったものです。

匿名アンケートフォームでいただいたコメントa(GADHA+M外)

Twitterのハッシュタグの一件、やりとりを見ていました。モラハラ被害者の一人として、離婚の経緯は思い出すのも辛く簡単に語れるものではないので、ハッシュタグの使い方やTwitterの発信方法には違和感を覚えました。しかし、その意見と真摯に向き合い、こうして公に発信してくださった姿勢が「加害者も学び変わることができる」というメッセージの体現だと思います。

えいなかさんの様に活動できる方は加害者の中でも僅か一握りです。私が具体的に何かGADHAの活動を支援できる訳ではないのですが、心の中では応援しています。一人でも被害者が少なくなっていきます様に。えいなかさんもGADHAの皆さんも、活動に集中するあまり、ご自身の心身の健康を害すことのない様、ご自愛ください。

匿名アンケートフォームでいただいたコメントb(GADHA+M外)

被害者側の本音は加害者変容を望んではいません。変容を諦めているという意味では無く変容して欲しく無いという意味です。今まで散々私たちの尊厳を傷つけてきながら今更真っ当な人間になって真っ当な人生を歩んで行くなんて許せません。このまま周りに毒を撒き散らし誰からも愛されず最後は1人孤独に寂しくのたれ死んで欲しいのです。変容の美談なんぞ虫唾がはしるだけです。これが被害者の表立って言えない本音です。

被害者側。子供を連れて別居2年半継続中の方

どんなに言葉を選んだとしても受け取る側によって理解は変わってくると思うので、全員が納得できるような発信をするというのは難しいのではと思います。ただ、今回の件で傷つく人が出たというのは想像できますし、そういう意図ではないのを理解した上でも、自分の精神状態によってはもしかしたら心穏やかでいられない1人になっていたかもしれません。応答の文章については確かにそうだなあと思って読んでいました。

少し離れた第三者的な気持ちで見ると「離婚を決意したエピソード」ってある意味、離婚を決意されてしまった加害者って自分の加害に気づくこともできず、離婚も決意されてなんとも哀れだな…と思ったりもして。言葉って難しいですね。おっしゃっている通り、今まで通り言葉を選んで説明をして活動していく、が最善なのではと思いますし、いち被害者で救われた身としてはGADHAの活動がなくなるようなことがあっては困る!と思っています

非当事者の方

応答ページの表現上で強いて気になるとすれば、注釈部分の「被害者の方に〝力を貸してもらえる〟とは限らない」の部分が、「(本当は貸してもらいたいんだけどな〜)」と読む事が可能な気がするので、その前の文の言い方をなぞる方が良いかなと感じました。(「被害者の方が力を貸す必要はない」とか、「手を貸す責任はない」とか、「〇〇(で)はない」の形)

GADHAが取り扱うものが繊細であるので、「特定のエピソードを募集するTwitter企画を行う」事自体が向いてないだろうと考えています。(※募集をtweetで行う事ではなく、ハッシュタグの様に企画自体をTwitterで進行するもの) 今回は被害者エピソードでしたが、これが仮に加害者エピソードだとしても荒れる(た)のでは無いかと。Twitterの性質上、モラハラ・DVに関心の高い方/当事者の方にほどより多く企画ツイートが流れてくるという事になってしまうので、タグをミュートするにしてもその企画を知る必要があり それ自体がストレスになると考えます。

被害者の方

正直、私には今回の炎上(?)の理由がよく分かりませんでした。Twitterで批判的な意見を言われてる方のツイートを眺めてて「そんな意見もあるんだな」と驚いた感じです。私自身は被害者の立場でもありますが、加害者の一面を持ってるのも分かってます。そして離婚はまだ考えてません。そういう、ぬるい立場(?)からなので、そこまで傷つく人が出る事に気が付かなかったです。えいなかさんの活動は素晴らしいものだし、本が出版される事はすごい事だし、今までの流れもざっくり分かってるし、喜ばしく応援したい気持ちしかないんですよね。この活動はズタズタに傷ついてる被害者サイドの方とどうしても絡んでしまうので、こういう批判は今後もたくさんあるんだろうな。そこに真摯に向かい合おうとしているえいなかさんは偉いなぁと拍手を送りたいです。

加害者の方

今回のハッシュタグによる体験談の募集は、その意図や募集後の方向性について説明がないことに懸念を感じました。結果として被害体験が本の販促に利用される懸念を生み、一部の被害者の方を深く傷つけてしまいました。私もそのリスクまで想像できていませんでした。

「養分にされる」という被害者の方の表現には、衝撃を受けました。利用される被害者はもはや道具やモノですらない。原型を留めないほどぐちゃぐちゃに壊され、そこに残った養分まで絞り取られようとしている。加害者に対する憎悪の激しさと、今も血を流し続ける傷の深さを感じました。

そう感じる方々にとって、加害者はもがき苦しみ抜いて死ねばいい。加害者が変わり幸せになろうなど、許せるはずはない。GADHAの活動も到底認める気持ちにはなれないだろうと想像します。

そうした方々の存在を常に念頭に置く必要があるのを、今回改めて強く感じました。一切関わりたくない。加害者が変わろうが変わるまいが知ったことではない。むしろ変わらず苦しみ抜いて孤独に死んでほしい。そうした気持ちでいる方々からは、言葉を選ぶ位では何もわかっていないという指摘もありました。

活動を続けることはその方々のニーズには反している。自分達が活動することで、傷つく人達がいる。全面的に応援され、賞賛される活動なのではない。それを肝に銘じながら、慎重に進む必要があることを感じました。

いただいたコメントの整理

コメントをいただいた皆さんに心より感謝申し上げます。それぞれの生活で忙しい中で、こういった議論を1つ1つ検討することはとても大変なことで、それにお力添えいただけることを有り難く思います。

1.表現に問題があった

"モラハラ被害者の一人として、離婚の経緯は思い出すのも辛く簡単に語れるものではないので、ハッシュタグの使い方やTwitterの発信方法には違和感を覚えました。"

"今回の件で傷つく人が出たというのは想像できますし、そういう意図ではないのを理解した上でも、自分の精神状態によってはもしかしたら心穏やかでいられない1人になっていたかもしれません。"

上記にあるように、今回の表現には問題があったこと、傷つく人がいたことは間違いありません。前回の記事にもまとめた通り、いくつもの問題があり、今後の改善が必要だと考えています。

2.表現以前に問題がある(存在のレベルと活動のレベル)

"被害者側の本音は加害者変容を望んではいません。変容を諦めているという意味では無く変容して欲しく無いという意味です。今まで散々私たちの尊厳を傷つけてきながら今更真っ当な人間になって真っ当な人生を歩んで行くなんて許せません。このまま周りに毒を撒き散らし誰からも愛されず最後は1人孤独に寂しくのたれ死んで欲しいのです。変容の美談なんぞ虫唾がはしるだけです。これが被害者の表立って言えない本音です。"

"そうした方々の存在を常に念頭に置く必要があるのを、今回改めて強く感じました。一切関わりたくない。加害者が変わろうが変わるまいが知ったことではない。むしろ変わらず苦しみ抜いて孤独に死んでほしい。そうした気持ちでいる方々からは、言葉を選ぶ位では何もわかっていないという指摘もありました。"

このような「存在のレベル」での否定的なご意見はこれまでにも複数回いただいています。このように思われるまでに、どれだけの苦痛、傷つき、痛みがあったのか、「想像できます」と安易に言うことさえ憚られます。以前、近い内容について詳細に応答した記事がありますので再掲させていただきます。

僕は、加害者が減ることが、この加害的な社会が変わっていくために、一人でも多くの被害者が減り、ケアしあえる関係が増えていくために本当に重要だと考えています。

この活動を続ける中で、誰も傷つけないことはできません。そもそも加害者が活動しているだけで「加害者が何を言っているんだ」「黙って死んでろ」と批判されること、傷つく人がいることは想定していたからです。

それらの言葉をそのまま受け入れることはできません。しかし、そういった言葉に強く反論したり、反撃する気もありません。そのような怒りに至る背景には、紛れもなく深い傷つきがあっただろうと思うからです。

そして、たとえ存在のレベルから認められないとしても、「最大限の表現の配慮」を行う責任を僕は非常に強く感じています。今回はその配慮が不十分であったために、多くの方を傷つけてしまったことを深くお詫び申し上げます。

また、本件は「普段の活動を否定しているわけではないが、このハッシュタグはよくない」という「活動のレベル」での指摘から始まったものです。これは表現のレベルではなく活動のレベルでありますが、同時に存在のレベルの否定ではありません。こういった批判に適切に応答し続け、社会的責任と常に向き合いながら活動していきます。

ただし「加害者への働きかけのみに活動を限定するべきである」という批判には、今回応じておりません。その理由は前回の記事にもまとめたように、そもそも「変わりたいと願う加害者」の数は非常に少なく、その人たちを対象にする活動には広がりがなく、システムレベルでの問題解決には寄与しないだろうと考えているからです。

今回ご批判をいただいたからこそ、この点については非常に自覚的になることができました。GADHAの活動は、被害者の方の手を借りていない、加害者同士のケアの場を作っているのだとこれまで申し上げてきましたが、それは欺瞞でした。綺麗事でした。

GADHAの活動は、以下にもまとめさせていただいたように、(仮に直接の加害者パートナーの変容は信じていないとしても)、GADHAのような組織の行う活動の価値を信じてくれるたくさんの方々の支援、共感、応援があってこそ成り立っているということを思い知りました。改めて心から感謝申し上げると共に、今回のような活動・表現における配慮不足は大きな問題でした。ご批判をいただいた方にも、心から感謝申し上げます。

3.応援のメッセージ

今回の文章の焦点とズレるので詳述は行いませんが、メッセージをいただいた皆さん本当にありがとうございます。

存在のレベルでは意味があると思っている人も、活動のレベルでは問題があると言う人もいます。活動は良いが表現がダメだという人もいます。特に表現に問題を感じない人もいます。

被害者という属性の中でも多様な人がいて、その全てに応じることはできません。しかし、これからも持続可能な形で、さまざまな批判に応じ続けたいと思っています。

しかし、心からそう思っていても、通知画面を見るのが怖くなったり、twitterから足が遠ざかることもあります。

そんなとき、もう一度批判に向き合い、誠実に応答しようという勇気は、応援してくださるメッセージから湧いてきます。

今回、DMなどでもさまざまなメッセージをいただきました。加害者の方もいれば被害者の方もいました。それら1つ1つの言葉に心から感謝申し上げます。

4.具体的なアクションへの批判的提案

"応答ページの表現上で強いて気になるとすれば、注釈部分の「被害者の方に〝力を貸してもらえる〟とは限らない」の部分が、「(本当は貸してもらいたいんだけどな〜)」と読む事が可能な気がするので、その前の文の言い方をなぞる方が良いかなと感じました"

こちら非常に重要なご指摘でした、ありがとうございます。内容を書き換えました。

5.具体的な今後のアクションへの予防提案

"GADHAが取り扱うものが繊細であるので、「特定のエピソードを募集するTwitter企画を行う」事自体が向いてないだろうと考えています"

こちらについて、内容や表現によってさまざまなパターンが考えられるものの、しかし、おっしゃっていただいた通り、安易に行うことにはリスクが高いと現時点では強く感じています。今回できなかったことが本当に悔やまれるのですが、今後は原則として、もし行うとしても、GADHA+Mで活動や表現のレベルでの批判的検討を経るようにしたいと思います。

おわりに

改めまして、本件には多くの反省すべきポイントがありました。批判をいただいた皆様、そしてコメントをくださった皆様に心から感謝申し上げます。

いただいたコメントの全てに応じることができたわけではありません。GADHAの存在、活動、表現によって傷つく人を0にできたわけではありません。全ての方に応援してもらうことなど望むべくもありません。

しかし、批判に対して攻撃的に反論・反撃することなく、誠実に自分たちの存在・活動・表現について考え続けていくことだけは約束させていただきます。

GADHA代表 えいなか