「モラハラされた人の心はモラハラされる前の心には戻れません。心をころしたのと一緒です。加害者が集まって救われるゴッコですか?」

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本記事は、2022年3月12日のスペースの際にいただいた批判への応答を文字化・記事化したものになります。コンテンツ制作に協力いただいたGADHA+Mのメンバーの方々に深く感謝申し上げます。

このような批判に誠実に応じ続ける責任をGADHAは持っていると考えています。こちらのフォームより、匿名にて批判や質問が可能ですので、ぜひご意見くださいませ。

今回いただいた批判は以下です。

「モラハラされた人の心はモラハラされる前の心には戻れません。心をころしたのと一緒です。加害者が集まって救われるゴッコですか?」

許せない被害者の方がいるのは自然

「加害者は死んでほしい」「もういっそ事故に遭って亡くなってほしい」あるいは「苦しみ抜いてほしい」「楽になったり救われたり全然しなくていいし、変わってもらう必要すらない」「苦しみ抜いて死んでほしい」そう思う方々は間違いなくいらっしゃいます。

そういう方々からすると、GADHAの活動というのは、当然ながら許せないと思います。「加害者が変われる」「加害者も償って幸せになれる」と考えたり、加害者が集まって何かをしたり、その中で「加害社会をも変えて行きたい」という事を"ほざいて"いたら、許しがたいほどの怒りを覚えるのではないかなと思います。

「何を良い人ぶって、加害なんて過去の事であるかのように振舞っているのだろうか」と。そのように仰る方々のその感情、怒りの感情は勿論、何か拭えない疑念であるとか不公正感、「そんなことあってはならない」「それは間違っている」というような感覚を持たれることと思います。それを否定することは決してできません。 そして、そういう方々であるほど、「心を殺したのと一緒だし、モラハラされる前の心には戻れない」と仰るのも、また自然な事だと思います。

傷ついている被害者が居るからこそ、批判が来る

GADHAに強い批判を示す被害者の方は、凄く傷付いたから批判するのだと思います。何度も加害者の方を信じてみたのではないでしょうか。「きっと変われるかもしれない」「今度こそ変わるかもしれない」「謝ったから今度こそ」何回も何回も我慢し、何回も何回も信じて、何回も何回も期待して、でもやっぱり駄目だった。

信じても裏切られ続けることを通して、深い傷を抱えてしまって、これから幸せに生きられるような実感もなかなか持てなくて、怒りや憎しみの中で生きていて、「加害者には死んで欲しい」「苦しみ抜いて生きて欲しい」「救われたり、楽になったり、生きやすくなったりして欲しくない」と思っていらっしゃるのだと思います。

そういった事を思う程、被害者の方が傷つけられたのは本当に悲しい事です。直接の加害者ではない私にできることはあまりにも少ないのですが、そのような痛みを決して否定してはならない、それだけは心から思っていることです。このような活動をする以上、そのような方からの批判がくることは受け止めるしかないと思います。

被害者の方にもさまざまな状況の方がいる

上記の様にGADHAの活動を許せないと思う被害者の方が居るのは当然です。一方で、被害者の方々にも色んなバリエーションがあり、全ての被害者が「苦しんで欲しい」と思っている訳ではありません。

どういう人が、どういう立場で、今の加害者との関係がどうなっているのかによって、GADHAの活動はかなり違って見えると思います。簡単に「被害者はこうだよね」とは言えませんし、被害者の方でも、被害者を「代表」して何かを語ることは難しいのでは無いかと思います。そのくらい、被害者の皆さんが多様な考えを持っている事を活動を通して感じます。

例えば、「変われるものならば、一緒に変わって幸せに生きていきたい」と思う被害者の方々も間違いなく居ます。もの凄く傷ついてきたし、許せない気持ちもあるし、子供への悪影響もあったと思っているけれども、「何でこういう人この世界にいるんだろうか」と加害者の事を調べた時に、「発達障害のASDがあって」とか「この人も子供の時に色んな事があって」という情報が出てきて、「この人は被害者側から加害者になってしまったんだな」と認識する被害者の方々も居ます。

そして被害者の方も、例えばアダルトチルドレンなどがそうですが、「養育環境で自分も毒親に育てられた」「発達障害を抱えている」色んなパターンがありますが、パートナーの加害に遭う前から、みんな傷ついている。 しかし、「じゃあ一緒に変わろう」と言える程、変わるのは簡単ではありません。加害者の変容を期待して、その変容を待てば待つほど、被害者の傷つきが増していくこともあります。 GADHAとしては簡単に「加害者は変われるから、被害者の方も一緒に応援してもらいましょう」という主張はしません。それはありえないことです。

その上で、「それでも一緒に変わりたい」という方に向けて、2人で参加できるパートナープログラムも設けています。(https://www.gadha.jp/p-program)

「加害者側にもいろんな傷つきがあって、学び変わることができるのであれば、私は可能な範囲でそれを応援したいし、それが無理なのであれば別れる」という形で「自分を大切にする」ということも含めて、覚悟を決めて「GADHAの考えを一緒に学びたい」と希望される方から連絡をいただくことが多く、上記のパートナープログラムを開催するに至りました。 「苦しんで欲しい」と思う被害者の方も、「一緒に変わりたい」と思う被害者の方も、勿論それ以外の想いを抱えた被害者の方も居て、その全ての被害者さんの声を、批判を、GADHAは誠実に受け止めなければいきたいと考えます。 GADHAは加害者変容を目的とした「加害者が運営している団体」なので、被害者の方のケアはGADHAでは無く被害者支援の団体さんの元で受けられるのが良いと思っていますが、それでもGADHAの活動の中で、「GADHAでしか出来ない取り組み」があれば、可能な限り実現したいと思っています。

不条理な人生の中で、次の世代にそれを残さない様にしていきたい

この活動をしていると、人生は不条理だなと思うことが沢山あります。いろんな養育環境や、学校、メディアの情報によって「相手を大切にする」という事が分からないまま生きてきてしまう人が沢山居ます。その結果孤独になり、誰とも適切なコミュニケーションが取れなくなり、変容が難しい加害者になってしまう人たちが沢山居ます。

例えば「お金を稼いでくることが家族を大切にすることだ」と信じて頑張ってきた人が、ある時いきなり離婚になったり、家族との関係が無くなったりします。その人がもっと早く学べていたら、パートナーや家族が傷ついてる時に、その気づきに敏感に反応してそのニーズをケアすれば、そんな事にはならなかったのかもしれない。 被害者の方も、不条理を感じることが沢山あると思います。「結婚する前からこの事がわかってたら絶対結婚しなかった」とか「女性がもっと働きやすい環境だったらこんな風にはならなかった」とか「時代だったのかもしれないけど、親にあんな風に育てられたくなかった」とか。加害者とは対称的に、「自分を大切にする」という事を、教えられてこなかったと感じる被害者の方も多いのでは無いでしょうか。 不条理だなと思うんですね。でも、時間は戻らないし、加害者が変わったからといって許して貰えるとも限らないし、死んで欲しいほど憎まれているかも知れない。相手の変容を願う被害者の方も、願わない被害者の方も、簡単には決して癒えない過去の傷に苦しんで、葛藤と生きづらさをずっと抱えていたりする。 このもの凄い不条理の中で、みんな誰もが取り返しのつかないものを抱えながら生きてる。被害者の傷つきは、加害は、無かった事にはならない。それでも、「GADHAを何故やるのか」というのは、これからの被害や加害を減らす為に、「今から」出来ることは常にある、と僕自身が信じているからです。 誰もが、「奪われていた適切なコミュニケーション」を、知識を得る事によって取り戻す事ができる。「誰かと幸せになる為に必要なケアの方法」を獲得して、「悪意の無い加害」を少しずつでも「減らす」事が出来る。例え被害者との関係が終わったとしても、それに執着する事無く、そこからまた「適切なコミュニケーションが取れる自分の人生」を始めることができる。次の世代にそれを残さないようにする事が出来る。 加害を忘れるのではなく、その責任を負って「償いに変える」事こそが、「過去を省みて新たな加害や、自分の様な加害者を生み出さない」事こそが、自分が過去に傷つけてきたありとあらゆる人達に対する、唯一の償いになると考えています。

被害や加害を減らす為に、「人を傷つけない」変容に取り組みたい

「自分を変えたい、もう人を傷つけたくない」と願う加害者の方は確かにいて、その人たちと一緒に「人を大切に出来る人」になっていきたいと思っています。しかし、憎しみや苦しみの中に居る被害者の方に応援を求めたり、信じて欲しいと言うつもりはありません。

「人を傷つけない」というのはパートナーに対するものが一番重要ですが、決してそれだけではありません。自分の子供に傷つけないコミュニケーションが取れれば、子供は加害者や被害者といった当事者にならないかもしれない。

「学校の教育」や、「ブラック労働」「ハラスメントをベースとしたマネジメント」が減れば。「ケアをベースとした経営が行われれば」「ケア労働がもっとちゃんと保障のある働き方になれば」、そういった社会のあらゆる事を改善していけば、被害や加害は減るかもしれないと考えます。 「加害者が集まって救われるごっこですか?」と言われれば、ある意味でそうなのかもしれません。 しかし、社会が、加害者が変わらない限り、これからもモラハラをされる人、傷つく人というのは出続けます。「心を殺された」と感じる程傷つく人たちが、その被害が、これからもずっと続いていく。そんな事は、絶対にあってはならないと思います。 そういう様々な取り返しのつかない事が、これからの社会で繰り返さないようにする事ができる。そう信じて、加害者と加害社会の変容の為に、GADHAやGADHA+Mの活動に取り組んでいます。

加害者が変わる事で、周囲の人が救われる

そして実際に、関係が改善してきたという声も、有難い事に既に頂いています。「親が変わった」とGADHAに連絡をくれる方もいます。「父親があまりにも酷く、家族全員でもう関係を絶ちます」と言うところまで行った家族が、GADHAの考え方に触れて、そこから父親の行動が激変して生きやすく、暮らしやすくなったと連絡を頂いた事もあります。そういった声を、複数頂いています。「GADHAに参加することで変わった」「GADHAのプログラムに参加することで変わった」と連絡してくださる方々もいます。離婚してから関係が良くなった方もいます。児童相談所を呼ばれるレベルから変わる人もいます。 加害者が変わるという事は、加害者にとってだけの救いでは無いのです。「家族が救われました」「子供が救われました」「私自身が救われました」そう思える人が居ます。信じてくださいとは言えないけれど、「信じてみてよかった」と思えるまで至った人たちも多く居ます。 加害者が変われば、加害が減り、傷つく人が減ります。変わる事は決して簡単ではありませんが、変容する加害者が出れば、そこから生まれる被害を減らす事が出来ます。1人の加害者の変容によって、多数の被害者が救われる。1つでも多くの被害を防ぐ為に、1人でも多くの加害者が「ケアできる人」に変わる為に、GADHAは活動しています。

私たち加害者が変わることからしか始まらない

「変わりたいと願う加害者が、変わること」からでしか、この問題は変えられないと思っています。加害者自身が変わることが出来ると信じて、次の加害や次の被害を減らしていくことで償っていく。

直接の被害者にはもう謝ることもできないかもしれないし、その方々の傷つきを無かったことにすることはできない。それでも生きていく中で、被害者と関わらない形でも償い続けることができる。僕がGADHAを通してやりたいことはそういうことです。GADHAは被害者の方に「加害者への許し(赦し)を求める」事も、「応援を呼びかける」事もしません。「信じて欲しい」と言う事も出来ません。むしろそれらは、被害者の方への加害になると思っています。 関係はいつだって終わって良いし、どんな関係であっても、「関係を終わらせたいと思う相手と一緒に生きていく必要性」というのは何処にもありません。関わりたくないと思う被害者の気持ちを無視して関係を要求する事は加害にあたりますし、その気持ちを尊重できる様になる事こそが「変容」です。 色んな加害者と被害者の関係があり、必ずしも「被害者と"仲直り"する事が幸せ」では無く、「執着を手放し、重い罪の責任を抱えながらも、新しい人生を歩む」という幸福もあります。変容した結果には色んな道がありますが、そのどれもが、「被害者の意向を無視しない」という事が前提にあります。 次の加害や被害を減らす償いの中で、「結果的に」加害者が救われる形になりますが、GADHAの目的は加害者が幸せになる事では無く、「加害者が変わる事で被害を無くしていく」事にあります。「変容の無い、被害者を傷つけ続ける加害者の幸せ」には、強く批判的でなければいけないと思っています。

終わりに

本記事は、2022年3月12日のスペースの際にいただいた批判への応答を文字化・記事化したものになります。コンテンツ制作に協力いただいたGADHA+Mのメンバーの方々に深く感謝申し上げます。

我々は自分が正しいと思うことなく「様々な批判の中で位置付けを常に問い直していきたい」と考えています。批判はGADHAにとって重要で、ありがたいものであり、思うところがある際は是非匿名フォームなどからご批判を頂ければ幸いです。