「パートナーに対してだけケアが出来ないのはなぜでしょうか?」

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この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。

Q.質問

仕事の時は出来る共感や寄り添いが、パートナーに対しては出来ないのはどうしてなんでしょうか?

A.応答

よくあるケースです。色々なパターンがありますが、簡単に言ってしまうと甘えです。甘えとは「相手は自分をケアする責任があるが、自分にはない」と考えることです。それは他者と生きる上での最も基本的な責任の放棄です。

職場の人間には甘えていないのでしょう。

パートナーに対しては当たり前のように「察して欲しい」とか「言わずとも理解して欲しい」、もっと行くと「やってくれないとおかしい」だとか、「自分のケアをするのはお前の役割だ」と思っているのでしょう。

ところが、職場の人間にはそう思っていない。相手を他者であると認識していて、自分の手足のようなものとは捉えていません。他者だから、自他の境界線を引くことができるんだと思います。

ちなみに、実際には職場の人間に甘える人というのもいます。わかりやすいケースは部下に対するハラスメントですね。

「言わなくてもわかるだろう」とまともな指示を出さず、一方で臨む結果が出て来なければ「なぜ聞かなかった!」と怒る。典型的に加害的な上司がいますが、そこにあるのは甘えです。

相手を自分の内側に入れれば入れるほど、自分の思い通りになる道具、言わなくてもニーズを満たしてくれる道具のように思ってしまう。

そうすると、道具だから、共感も寄り添いも必要なくなってしまいます。自分の思い通りに動いて欲しいし、思い通りにならないと「おかしい間違っている、変だ」と思い、「攻撃された」とすら思ってしまうんです。

そうすると反撃の必要がありますから、「なんでこうしてくれないんだ、あなたがおかしい、約束したじゃないか」というような感じで、被害者のような顔をして相手を責めてしまいます。

つまり、自分や相手を持続的にケアできる環境が構築できていないんです。そこにあるのは、相手に対する甘えです。「してくれて当然、なぜしてくれないのか」という甘え。

「甘えがあるから傷つく」ということに気づいた時、人間関係を破壊しているのは自分だと気づけます。傷ついたその感情は真実のものであり誰にも否定できるものではありません、傷ついていいと思います。

しかし、甘えに基づいて傷つく人間と一緒に生きていく責任を持っている人はこの世界に誰もいません。そんな義務は誰も持てません。なぜなら、そんな人と一緒にいたら、自分が失われてしまうからです。それは存在の消失、最も根源的な苦しみです。

私たち(加害者)はパートナーのニーズを理解しようとかケアしようとかってことを当然にしているか、それを相手が嬉しくなかった時に「あ、嬉しくないのか。じゃあ学び直して改めてパートナーのニーズやケアを理解しよう」とできているかと言うと、できていないんです。

一番大切な、これをするべきパートナーに対してできていないんです。お互いに持続的なケアをする責任を持っているのに、自分は責任を果たさずに相手からの利益=ケアを享受しようすると、共感や寄り添いをせずただパートナーから搾取する存在になってしまう...というような構造だと思われます。

改めて質問への回答をします。

仕事の時は出来る共感や寄り添いが、パートナーに対しては出来ないのはどうしてなんでしょうか?

相互にケアする責任があることに無自覚だからです。ゆえにケアの搾取が生じています。そのような関係が終了するのはとても自然なことです。

終わりに

この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。

制作

GADHAは「変わりたいと願う加害者」による当事者団体です。自身の加害者変容並びに加害者の再生産を防止することを目的として、本記事はGADHAメンバーによる協力によって制作されています。

文字起こし:くろとうさん @ktkt_tsk 

執筆:さくらさん @sakura_kizu

責任:えいなか @EiNaka_GADHA

 

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