この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。
Q.質問
自分は裏表のない性格で、どこでも態度を変えずに過ごしているつもりなのですが、それは加害になってしまうんでしょうか? 正直であることはいいことだと言われて育ってきたし、自分もそう思っています。
A.応答
加害をしてしまう人によくあるのですが、「自分は思ったことを言っただけ」「自分は裏表なく隠し事をしないんだ」と言って相手のニーズに寄り添うことを放棄してしまっているパターンです。「素直・裏表がない・態度を変えない・実直・まっすぐ」というのは加害に繋がりうるんです。なぜでしょうか?
それは「自分は思ったことを言っただけ」とわざわざ口にする時がいつかを考えればわかります。それは相手が「今のは傷ついた」と言った時に返事として使う言葉でしょう。
自分は素直に言ってるだけなのに、というのは「自分は素直に言ってるだけ。傷つくあなたがおかしい、あなたが私を受け入れろ、自分は変わらないぞ」と言っているのです。
「素直であることはいいことだ」から、それを「否定するあなたが間違っている」と伝えることが、この発話の意図であると考えて良いでしょう。
これが加害になるのは解釈強要の定義から明らかです。傷つけてしまっただけではなく、相手の傷つきを間違っていると言っているからです。
人間は、互いに違う感覚を持っている時にその感覚を伝えても相手が行動を変えてくれなかった場合、傷つきます。もちろん、あなたはあなたのまま、まっすぐ生きても良いのです。誰もそれを無理やり捻じ曲げることはできません。自分が大切にしたい人が傷つこうが何だろうが、自分は自分のままでいたいというならそれはそれでいいと思います。
しかし、あなたがあなたのままでいることによって人を傷つけることももちろんありえます。そういう人は離れていくでしょう。加害者は孤独になります。
GADHAにおいて愛するとは「相手のニーズを知ろうとし、ケアしようとし、間違っていたら学び直すこと」です。あなたはそのような点で、相手を全く愛していません。
自分は素直に生きているだけなのにどうして相手は傷つくんだろう? 相手はどんな考え方、価値観を持っているんだろう? では、どんな言葉なら相手は傷つかないんだろうか?
そんなプロセスを全て放棄するのが「思ったことを言っただけ」という応答です。いかに無責任な言動か伝わりますか?
あなたの生き方に傷つかない方もいるでしょう。世の中には色んな人がいるので、感覚が近い人たち同士であれば問題がほとんど生じないこともたくさんあります。
問題は、1から10まで全て全く感覚が同じ人間はこの世にはいないということです。人はみな個別にユニークな存在だからです。
だから必ず「一緒に生きていたい人」を傷つけてしまう時があります。傷つけてしまうこと自体は必然です。でも、愛するか=学び直すかどうかはあなたの選択に委ねられています。
パートナーが傷つくのなら、ほかの方が傷つくかどうかは全く関係ないんです。パートナーが傷つくのなら、自分のその傷つける生き方と折り合いをつける必要があります。
もちろんそれは「その人と一緒に生きていきたいか?」という問いにYESと答えるなら、という条件付きです。誰もあなたに変化を義務付けることはできません。
愛は交換することによって増える、知識と並んで最も希少な財です。あなたはそれを増やすことを選ぶこともできるし、枯渇するまで減らし続けて、孤独を選ぶこともできます。
素直という言葉で人を傷つけ続けて孤独になる人間になるか、大切にしたい人の傷つきに寄り添って他者と生きる幸福を味わう人間になるか、ぜひ考えてみてください。
素直さ、正直さは、それ単体で美徳であるとは言えないと僕は考えます。
終わりに
この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。
制作
GADHAは「変わりたいと願う加害者」による当事者団体です。自身の加害者変容並びに加害者の再生産を防止することを目的として、本記事はGADHAメンバーによる協力によって制作されています。
文字起こし:くろとうさん @ktkt_tsk
執筆:さくらさん @sakura_kizu
責任:えいなか @EiNaka_GADHA