「良かれと思ってやったことを許してほしいと思うことは加害なんですか?」

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この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。

Q.質問

「良かれと思ってやったんだから許してよ」というのは世間ではよく見られるように思いますし、自分もそう言われたら許してしまうのですが、これを大切な人に言うのは自分の価値観を相手に押し付けているだけなんでしょうか?

A.応答

はい、その通りです。自分が許しているか、世間が許しているかは全く関係ありません。このことについて大まかに2つ、お話ししたいと思います。

1つ目が、愛すると言うことの意味、定義には間違える可能性を含むんです。愛するとは、「相手のニーズを理解しケアしようとし、それが間違っていたら学び直すこと」というのがGADHAの考え方です。もう一度言いますが、間違っていたら学び直すこと、それが愛なんです。

人は間違えます。相手のニーズを理解することも間違えますし、相手のニーズをケアすることも間違えます。その間違いを受けて学び直すことが、愛なんです。そのように考えてみると、「良かれと思ってやったんだから許して」という言葉がどれほど愛することと相反するか、わかると思います。

「良かれと思ってやったんだから許して」と言うのは、良かれと思ってやったことなんだから、あなたが傷ついたとしても許してよ、と言ってるということです。ですが良かれと思ってやったということは、相手のニーズを間違えてしまったということです。ニーズを間違い、ケアを間違えたということ。許してもらうどころの騒ぎではないんです。

「嫌だった、傷ついた」と言われた時、「あっ、ごめん。どういうふうにしたら良かったかな、こうしたら良かったかな?」というような姿勢を持つこと、これが愛することなんです。自分が思いついた、「なんか相手に良さそうなこと」をやることには、極端に言えば意味はありません。間違った時に学び直すことに価値があり、実際にケアができたことに意味があります。

それ以外は自己満足です。それどころか、それに対して感謝を求めたり、相手が喜ばないことに怒るのであれば、単純に加害です。2人の間の、大切にしたいと思う関係の中で生きていくのならば相手の感じ方こそが、何より大事です。

ここまでをまとめると、「相手のニーズやケアを間違えたところから学び直すことが愛であり、そうしないならそれは単に自己満足である」ということになります。

二点目は、「真善美」という考え方の話です。

真善美の真というのは、どんな時でも普遍的に正しいとされる理屈です。例えば「りんごから手を離せば床に向かって落ちる」というのは、わかりやすく「真」ですね。善というのが、関わる私たちの間で良いとされること。美が、私ひとりが良いと思っていること(正確には感覚することの全て)で、これは誰にも否定されないものです。

何が加害者として問題になるかというと、私たちはパートナーとの間の話をしています。つまり、「善」の話です。「真」でも「美」でもなく、「善」の話です。自分とパートナーの間、その2人の関係の中で私たちにとって「良い」ってなんだろう、嬉しいことってなんだろうと考えることが大事なんです。ところが、加害者はしばしばこの時に自分の「美」を「真」を経由して持ち込み、それを「善」に密輸入しようとするんです。

「私は、良かれと思ってやったんだから許してと言われたら許す」、これはあなたの「美」で誰も否定できないものです。それ自体を加害的だと言い立てることは絶対にしません。そのような考え、感覚を持っていることは何の問題もありません。

しかし、「世間ではよく見られる」というのは「真」の話に移行しています。あなた1人の「美」を、まるで客観的にそういうルールがあるかのように言ってしまっている。

しかしこれは、違うのです。いいと思っているのはあなた1人の感覚です。あなたがいいと思っていることを、「真」の権威を借りて2人だけの関係の中に引き込んでいる。

そこに、相手の感覚、相手の「美」の感覚はありません。相手の、「良かれと思ったからと言って許したくない」と思う感覚を無視し、押し潰している。だから、加害になるのです。

良かれと思ってやったけど相手は許してくれない、という時にできることは、「相手にとって本当にいいこと」は何か知ろうとすることに尽きます。

決して、客観的に良いとされることをしたんだから1回くらい許されるんじゃないかとか、自分はそうされたら許すんだけどなとか関係ないのです。

本当に、とても大事なことなのですが、世間的にどうとか自分はどうとかっていうのは微塵も関係ありません。2人の間で2人にとって良い関係にしようとする時に大事なのは、相手の感覚だけです。

そして相手もあなたの感覚を大事にすることが大切です。そして、それをテーブルに一緒に並べて「どういうふうにやっていこうか?」と考えていくことが、2人が一緒に生きていくために大事なんです。

ここでは、良かれと思ってやったことを許すかどうかが論点ではなく、「相手にとっていいことってなんだろう」と知ろうとすることが大切なことです。

相手の「美」を理解して、自分の「美」も説明して、お互いが相手の望むことをやろうとすることが愛し合うということなんです。

もちろん、それがどうしても両立不可能なら関係は終了するだろうし、した方が良いでしょう。GADHAは関係は維持されるべきだと全く考えません。

関係は終了する。その紛れもない現実に向き合った時、私たちは自他を配慮する意味や必要がようやくわかるのだとも思います。それが、加害者が関係の危機に至るまでGADHAに来ない一番の理由でしょう。

終わりに

この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。

制作

GADHAは「変わりたいと願う加害者」による当事者団体です。自身の加害者変容並びに加害者の再生産を防止することを目的として、本記事はGADHAメンバーによる協力によって制作されています。

文字起こし:くろとうさん @ktkt_tsk 

執筆:さくらさん @sakura_kizu

責任:えいなか @EiNaka_GADHA

 

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