「加害者は大きな子どもなのでしょうか?」

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この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。

Q.質問

加害者の「察して欲しい」「(自分はケアしないのに)ケアして欲しい」というのは、まるで子どものようだと言われたのですが、そうなのでしょうか?

A.応答

はい、「加害者は子どもである」という認識はとても大事なところです。もっと正確に言うと、人間として未熟・未発達な状態にあると考えます。

人はまず赤ちゃんとして生まれてきます。赤ちゃんは自分がなんで泣いてるのかもわからない。何かに怒っているのかイライラしてるのかも、何もわかりません。だから人に、「空腹なのかな、眠いのかな、トイレなのかな?」と色々試して確認してもらって、ようやく泣き止みます。

ここで何が起きているかと言うと

・赤ちゃんは自分のニーズが自分でわからない

・しかしニーズの存在はわかり不快なので泣くことでケアを要求する

・ケアをする側が相手のニーズを推量し、試行錯誤してケアする

という構造です。要するに赤ちゃんはニーズとケアという視点から考えると、極めて未発達な能力しか持っていません。

加害者がよく言うセリフの1つが「私が何に怒ってるか説明してみろ」です。

それで相手が何を言っても納得することなく「何もわかってない!」と更に怒ったりもしてしまいます。実際のところ、本人もわかっていないのです。

実際には怒りではなく多くの場合、傷つきを覚えています。それは往々にして無力感です。無力感がどこから来るかと言うと、加害の信念体系における幸福が「相手が自分を忖度して思い通りに動くこと」にあります。

しかし、本人はそれを自覚していないことがほとんどです。あるいはその考え方自体が加害そのものであり、他者と生きていく上で非機能的-他者を傷つけ最終的には自分を孤独にする-ことに気づいていないのです。

相手が自分の思い通りに動くことを心から望み、そうじゃない状況に傷ついているのです。ここに加害者の被害者意識がはっきりと現れます。

・自分がなぜ怒っているのか(傷ついているのか、無力感を覚えているのか)わからず

・身体的/物理的/精神的/経済的/性的/人間関係的DV=暴力を振るって

・相手に自分のケアをさせようとしているのです

他にも「あんなにしてやったのに!」と例えば旅行だとかご飯に連れて行ったりしたことを持ち出して怒ったりする方もいます。

それは外から見てわかりやすい「いい親、いい伴侶」を演じるためだったりします。だから実際の子どもやパートナーからすると全然楽しくなかった、なんてことがたくさんあります。

「それは本当に相手が望んだことだったか?」というと、全然望まれてなかったりします。後から「あんな旅行何も楽しくなかった」と言われてショックを受ける加害者の方はたくさんいます。

なぜそんなことになるかと言えば、「相手のニーズをわかろうとしていない」ということに尽きます。相手のニーズを満たすことがケアなのに、そもそも相手のニーズをわかっていないからケアができない。

相手が「旅行には行かなくてもいいんじゃないかな」と言うと、「私の実家は1年に一度旅行に行っていた。だから私たちも旅行に行くんだ!」などといった、自分のニーズを主張する。

それで例えば離婚になった時などには「旅行であんなに楽しそうにしていたじゃないか!」と言ったりします。

もう無茶苦茶です。自分のニーズしか考えていない上に、自分のニーズじゃないかのように振る舞っているわけです。

「おれがいい父親/いい旦那になりたいからやっていること」を、例えば相手が旅行はしたくないというニーズを共有したとしても無視して、その上でさらに感謝を要求しているのです。

赤ちゃんの例を再掲します。

・赤ちゃんは自分のニーズが自分でわからない

・しかしニーズの存在はわかり不快なので泣くことでケアを要求する

・ケアをする側が相手のニーズを推量し、試行錯誤してケアする

まさにニーズとケアという意味において、加害者は極めて未熟・未発達な段階にあるのです。そして自然なことですが、自分のそれがわからない中で、関わる人のニーズを理解してケアすることは極めて難しい。

よって、「自分のニーズはうまく伝えられないけれど不快感を加害によって示し、相手にニーズを理解してケアさせる負担を一方的に与えながら、自分は相手にそれをしない/できない」という加害者像が浮かび上がってきます。

大人になった私たちの場合は、自分がどんなことに傷ついたりイライラしたり悲しんだりしているのかを適切に理解し、自分でケアをしたり、自分ではケアしきれなければ人に相談したりケアをお願いしたりする必要があります。

そしてお願いしたことをしてもらえたらありがとうと感謝することも大切です。

感謝とは「相手をケアすること」によって表現されるものです。

ありがとうと言葉で言うことに全く限定されません。相手のニーズが言葉での感謝であればそれで良いし、そうでなければ相手のニーズに合う形でケアをする、ということが感謝です。

お分かりかと思いますが、加害者は感謝することさえできないのです。相手のニーズがわからず、ケアもできないからです。僕たちはあまりに重要な能力を未発達のままに育ってきてしまいました。

自分が自分のことも相手のことも「ケアする主体」であるということ、そして相互にケアできる関係であることが大人の愛し合う関係であることを認め、学んでいきましょう。

終わりに

この記事はプログラム参加者などGADHA理論を学んだ人からの質問への回答となっています。基本となる考え方自体は、GADHA理論ページから学ぶか、GADHA加害者変容プログラムに参加することを通して学習ください。

制作

GADHAは「変わりたいと願う加害者」による当事者団体です。自身の加害者変容並びに加害者の再生産を防止することを目的として、本記事はGADHAメンバーによる協力によって制作されています。

文字起こし:くろとうさん @ktkt_tsk 

執筆:さくらさん @sakura_kizu

責任:えいなか @EiNaka_GADHA

 

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