原論のガイド

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はじめに

G.A.D.H.A.が提唱する理論の全体構成はこちらからご覧ください。このページは原論のガイドページですが、より応用的な実践が知りたい方は実践論のガイドページをご覧ください。

なぜ原論が必要なのか

「ケアのコミュニケーションとはどのようなものか」「それはどのように学習することができるのか」を対象とした実践論の、背景や前提となる理論を原論と呼びます。なぜ原論が必要になるのか、そして具体的な原論の内容はどのようなものかを説明していきます。個別理論の詳細は別ページへのリンクを用意しています。

 

原論で取り扱うのは、たとえば存在・他者・解釈・幸福といった概念です。具体的な問いとしては「そもそも人間はどのような存在なのか?」「私と他者はどのような関係にあるのか?」「幸福とはどのような状態なのか?」「なぜケアのコミュニケーションが善いことなのか?」などが挙げられます。

 

こんなこと「悪意のない加害者」にとってどんな意味があるんだろうと思うかもしれません。では、逆に、このような「そもそも論」がないと何が起きるでしょうか。それは原理なき実践です。個別具体的なノウハウや、Tipsのようなものはいくらでも作ることができるでしょう。

 

たとえば「何かしてもらったときには感謝の言葉を述べる」というTipsは良い実践のヒントにはなるでしょう。しかし「感謝するとはどのようなことか?」「感謝とは、やれと言われてやるものなのか?」といった疑問に、そのTips自体は応えられません。

 

「悪意のない加害者」の多くは、僕も含めて感情に関する能力が未発達であることが多いです。その裏返しなのか、理論的・理屈的に物事を理解する力が高い方も少なくありません。そのような方は、さまざまなことを批判的に検討する力がありますが、それに付随してTipsを安易に信用しないところがあるように思います。

 

正直に申し上げるならば、誰よりも僕自身がそういうタイプなのです。「ASDの人は共感能力が低い」と言われれば「そもそも共感能力とは何か?」「他にもさまざまな能力がある中で、なぜ共感能力に着目する必要があるのか?」と疑問に思います。

 

「感情を承認することが関係をよくするためには大事なんだよ」と言われると、「感情を承認するってどのようなことなのか?」「それは関係においてどのように機能するのか?」「それってできるようになることなのか?」「最初から自分と相性の良い人を探せば良いのではないか?」といった疑問が湧いてくるのです。

 

原論は、そのような「より、根本的な問いかけ」に応えるための一連の理論です。

原論を構成する理論

1.認識論:他者と共同解釈

問いは「私たちが同じ現象を目の前にしてわかりあえないと言うとき、私たちは何について話しているのでしょうか?」というものです。

現段階の仮説は以下です。私たちは解釈を通してこの世界を捉えています。世界はモノとしてあるのではなく、私たちの解釈によって表現されているに過ぎません。問題が生じるのは、世界が解釈に開かれていて、私たち1人1人がそれぞれ異なる解釈をしているためです。自分と異なる解釈を行う「他者」と関わるとき、ある程度共有可能な解釈が必要になります。それが「共同解釈」です。お互いが異なる解釈によって現象を生み出していることに気づいたら、それを認め、両者が共有可能な解釈を生み出そうとすることができます。それには困難を伴いますが、それなしでは私たちはコミュニケーションをすることができません。

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2.幸福論:共同解釈ができる関係

問いは「なぜ、わかりあうことが大事だとされるのでしょうか。逆に言えば、わかりあえないことが深い絶望を意味するのはなぜでしょうか?」というものです。

現段階の仮説は以下です。私たちの存在は、解釈によって成り立っています。「この自分」というのも、自分の解釈による産物です。ゆえに「この自分」を他者が異なるように解釈するとき、自分の存在が揺らいでしまいます。この他者に溢れた世界に生きる限り「私とは何者なのか?」という不安から逃れることはできません。「この自分」でいられるのは、自分を「この自分」として解釈してくれる人がそばにいるときです。そのようなとき、私たちは「くつろぐ」ことができます。それは存在の肯定であり、世界における存在の確からしさを支えます。「この自分」への不安が少ない状況、たとえ欠点があったとしても、それごと受け入れられる状態を幸福と呼びます。

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原論概要のまとめ

上記の原論は、現在精緻化・再構成を進めているものです。例えば「コミュニケーションって結局なんなのか」「幸福に近づくことは善いことなのか?」「存在の肯定による幸福の善さは、他の善さと比べてもより良いのか?」などと問い直すことが可能でしょう。

 

今後、詳細ページを充実させながら、理論自体の洗練も進めていきます。

実践論との関係

このように考えると、「対話」というのは、この共同解釈の技法だと呼べるでしょう。「ケアのコミュニケーション」とは、存在の肯定のためのコミュニケーションです。そして、それらが重要なのは私たちが「わかりあおうとすることを通して幸福に近づくことができるから」だと言えます。